「ちびまる子ちゃん」原作者のさくらももこさんが53歳の若さで乳がんで亡くなったことが発表され、世間を驚かせました。「ちびまる子ちゃん」のモデルとなった家族の実像と、2度の結婚、生前顔を明かさなかった理由に迫ります。
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(出典:フジテレビ)
目次
家族に関する悪質なデマ
3年ほど前に、さくらももこさんの実際の家族は悲惨だというデマが飛び交いました。
その内容は悪質で荒唐無稽でしたが、ネットに広く出回ったため信じてしまった人もいたようです。
ももこさんの姉が男に騙されてヒキコモリになった。
父ヒロシはまる子が中学生の時に多額の借金と女を作り駆け落ち。
祖父はアニメとは違いまる子をとことん嫌っていた。
祖母はヒロシの借金と駆け落ちに絶望して首吊り。
(出典:さくらももこの家族の真実)
まず、お姉さんが引きこもりというのは嘘で、きちんと働いているそうです。
「まる子」の姉さくらさきこと同じように、しっかり者のお姉さんのようです。
これは悪質な都市伝説で、さくらももこの姉は引きこもってはおらず、漫画家のマネジャーをしたり、さくらももこのデザインをしたゲームソフトの原作を担当するなどきちんと働いている。原作では「まる子とは違い美人でしっかりもののお姉さん」というキャラクターであるが、この部分も本当であり、さくらももこは上記の点から姉にコンプレックスを抱いていたことを明かしている。
(出典:東スポ)
お父さんが八百屋さんだったのは本当だそうです。今はリタイアして悠々自適の生活のようです。
母の実家はさくらももこさんの実家の八百屋から徒歩5分の所にあったし、漫画に出てきた七夕豪雨も、母から実体験を聞いていた。昔から ちびで おかっぱだったわたしはまる子と呼ばれたこともある。ずっと、さくらももこ と、ちびまる子ちゃん は、何となく身近な存在で、だから、じんわりと悲しい。
— yoshiko mUrata (@FiskuR_) 2018年8月27日
さくらももこ先生の実家の八百屋さんの前を通った時お母様を見かけたのですが、これもまた漫画のまるちゃんのお母さんそのままでしたね。まさかバンマスの実家も近くだったとは! みつやは大曲の交差点の近くにありました。
— こりんご(マンサニータ)@本命はピンソバ (@Koringo_jp) 2018年8月27日
漫画・アニメのまる子の父親は会社勤めの設定になっていますが、これはまる子の家庭を一般的な家庭にしておきたかったためだという説と、毎回野菜などの背景を描くのは面倒くさかったからという説があります。
たぶん、どちらも本当なのでしょうね。
お祖父さんとの微妙な関係
お祖父さんが難ありだったというのは事実のようです。
ももこさんは、実際の祖父は嫌われ者だったと語っています。
祖父は全くろくでもないジジイであった。
ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリはするし、母も姉も私も散々な目に遭った。
ジィさんは、死ぬ数年前からボケていたのだが、そのボケ方がどうも怪しい。
知らんふりして私の貯金箱から金を盗んだり、風呂をのぞこうとしたり、好物のおかずが出たりすると一度食べたにもかかわらず、「食べてない」とトボケて食べようとしたりするのだ。思い出のフィルターを通して仕上げているので、(中略)爺さんがまる子をかわいがるのは、私の憧れと理想と、まる子への想い入れが混じっているのだと思う。
(引用:集英社「もものかんづめ」)
お姉さんが風呂をのぞかれていたようです(><)
思春期の娘さんがこんなことをされたら、根に持つのは当たり前ですよね。
友蔵は、こんなおじいちゃんだったらよかったのにとももこさんが思う「理想のおじいちゃん像」だったようですね。
ももこさんは祖父が亡くなった時のエピソードを面白おかしく書いていますが、それを読んだ読者から批判が殺到してしまったそうです。
さくらももこさんの死が惜しまれていますが、
ここでさくらももこさんの祖父が亡くなった時の感動のエピソードをご覧ください pic.twitter.com/DPvimJiAk1— るりま大納言 (@kei4jF0N1zyjPKV) 2018年8月27日
さくらももこ先生、嫌われ者だった祖父の葬式を面白おかしく描いたエッセイに批難殺到した際、謝った上で「家族だからといって自動的に愛情が発生するわけではないと思う」と返してらしたな。それを読んだ当時の私は、その言葉に救われた気がしました。ご冥福をお祈りします。
— お嬢💿 (@nekoneko_nyanko) 2018年8月27日
「ちびまる子ちゃん」は現実半分、理想半分の物語なのでしょうね。
まる子って、子供らしいイタズラをする時もあれば、ドキッとするような毒のあるセリフを吐くこともありますよね(そこがいいんですが)。
愛情一辺倒ではない、さまざまな感情のある家庭で育ったからこそ、ああいった笑いと哀愁あふれた素敵な作品が生み出せたのだと思います。
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息子にさえ正体を明かさなかった理由
ももこさんは、周囲の人に自分が「さくらももこ」だと話していませんでした。
PTA役員などを引き受けていたそうですが、誰も気付かなかったそうです。
息子さんにさえ自分が「さくらももこ」であることは教えないという、徹底したものでした。
それは、「息子に謙虚に育ってほしいから」という理由だそうです。
親の名刺を学校で見せびらかしていたドラ息子に聞かせたい言葉ですね。
確かに、「さくらももこ」という有名人の息子で巨額の資産もあることを小さいうちに知ってしまったら、まっすぐ育つのは難しそうですもんね。
それでも、息子さんが大きくなってくるとやはりばれそうになったらしく、「さくらももこと一緒に仕事をしている」などと言ってごまかしていたそうです。
そんなももこさんに、息子さんはさくらももこのファンなので手紙を渡してほしいと、ファンレターを託したことがあるというかわいいエピソードも。
ももこさんは、息子さんと共作で絵本を出版されています。
これは元々出版する予定だったものではなく、息子さんが小3の時に漢字を教えるために絵を描いていることを出版社の人に話したところ、ぜひ出版したいと言われ、本になったそうです。
『おばけの手』
幻冬舎 2002年
さくらももこ・さくらめろん著
(出典:Amazon)
息子さんは「さくらめろん」というペンネームになっています。
めろん好きだったからそうつけたそうです。
その息子さんももう24歳とのことなので、社会人として立派に働いていることでしょう。
前夫とは略奪婚?
ももこさんは、1984年に当時集英社の漫画雑誌『りぼん』の編集者をしていた宮永正隆氏と結婚しています。
職場結婚ですね。
1994年には息子さんが誕生。
しかし、その4年後の1998年には宮永氏と離婚しています。
離婚の原因は、宮永氏が亭主関白で耐え切れなくなったとか、ももこさんの作品に口出しするようになったからだと言われています。
宮永氏の浪費癖や、会社のお金を使い込んだことをエッセーに書いたこともあるそうです。
この宮永氏は、ももこさんと結婚する前に、ももこさんの親友で一緒にコラボ漫画を描いたこともある漫画家の岡田あ~みんさんとつきあっていたと言われており、「略奪婚ではないか」と噂されています。
ももこさんの漫画のコマの外に
「あ~みんごめんね。でもあ~みんは許してくれたんだよね」
というメッセージが書かれていたのだそうです。
さくらももこを語るなら岡田あーみんは外せんな。
「あーみんごめんよ。でもあーみんは許してくれたんだよね」
コマの外に書かれた謎のメッセージ。
当時は喧嘩したのかなくらいに思っていたが。— 鈴木 博明 (@gssmeta) 2018年8月27日
宮永氏は当時、ももこさんとあ~みんさん両方の担当で、あ~みんさんより稼いでいるももこさんに乗り換えたのではないか?という声もあります。
あ~みんさんはそのショックからか引退してしまったそうですが、今は幸せな結婚生活を送られているそうです。
あくまでも噂なので真偽のほどは本人同士にしかわかりません。
しかし、この噂のおかげで、ももこさんに苦手なイメージを持ってしまっている人も多いようです。
宮永氏は、現在は音楽評論家やプロデューサーをしているそうです。
再婚した年下夫はイラストレーター
ももこさんは、2003年に4歳年下のイラストレーターの うんのさしみ さんと再婚されています。
この再婚したご主人との間にもお子さんがいるという噂もあるのですが、ご長男のことはブログに何度も書いているのに、もうひとりの子のことは全く書かないというのはちょっと不自然ですよね。
2004年に次男が生まれたという噂なのですが、これも都市伝説ではないでしょうか。
さくらももこさんがパートナーのうんのさしみさんの事を
「友蔵さんみたいな人なんです。」
と嬉しそうに微笑んで言われていた瞬間が昨日の事の様に思い出されます。
お二人とも欲がなく、ただただ絵が好きで描いてきた素敵な方達なんです。
大好きです。
素敵な想い出をありがとうございます。 pic.twitter.com/xFsa0q92TK
— Nadeshiko Ohoka (@nadeshiko_dress) 2018年8月27日
ももこさんが理想とする友蔵のような人なら、とても幸せな結婚生活だったことでしょうね。
うんのさしみ さんは絵本などで挿絵を描かれています。
ももこさんとの共作もありました。
『アミが来た』
徳間書店 2002年
エンリケ・バリオス著 さくらももこ・うんのさしみ訳・絵
(出典:Amazon)
まとめ
さくらももこさんの家族にまつわる都市伝説はデマが多く、きちんとしたご家庭のようですね。
波乱万丈の人生だったようですが、2度目の結婚では幸せな家庭を築かれていました。
また、息子にも「さくらももこ」であることを伏せておくなど、とてもしっかりとした教育信念を持った方でした。
まだまだ活躍していただきたかったです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
さくらももこさんの受けていた民間療法と病院については、こちらをどうぞ。