樹木希林(きききりん)さん死去 内田裕也さんよりロックな生涯<名言集>

15日にがんで亡くなっていたことが発表された女優の樹木希林さんを忍んで、ある意味夫のロケンロー内田裕也さんより型破りな人生観、病気や老いに対する考え方、名言の数々を振り返ってみたいと思います。




プロダクションに所属せず、マネージャーもなし

樹木さんが「自由」だったいちばんの理由は、プロダクションに所属しなかったことじゃないかと思います。

そのため、プロダクションとの駆け引きなしで、自分の納得のいく仕事だけを受け、自分で自分をプロデュースすることができたのです。

所属事務所の顔色をうかがわず、自由に発言できたわけですね。

そしてマネージャーも置かず、自宅のFAXで仕事を受け付け、取材交渉をし、自宅のリビングで取材を受けることもあったそうです。

スケジュールを管理し、切符を手配する、という作業も全部自分で行っていたそうです。

その理由は、いろいろな役をやるためにはそういう経験もしなければだめだからというこだわりからだそうです。

すべて自分で行動することによって、そういう役が来た時に自然にできるようになるという考えだったそうです。

ギャラの話も女優本人にしなければならないので、やりづらそうにしていた人もいたと笑って話しておられました(笑)。

実家は大衆酒場だった

実家は大衆酒場で、女優になったのは「ほかにやることがなかったから」だそうです。

大学受験を目指していたところ、冬にスキーで足を骨折してしまい、受験どころか卒業式にも出られない状態になってしまい大学受験を断念したのだとか。

樹木さんは就職しなくても、食べるのには困らない身でした。

「でも、寂しいじゃないですか。みんな若者がキラキラ光っていくのに、私ひとり、食べられればいいってもんじゃないでしょ」(2015年5月30日 サワコの朝)

デビューのきっかけは森繫久彌さんに誘われて

森繫久彌さんが出演していた「七人の侍」がスタートして2本目に、森繫さんが「この家に女中がいないのはおかしい。誰か来てくれないか」と文学座に声をかけ、文学座の後輩である当時21歳の樹木さんに白羽の矢が立ったのだそうです。

番組の企画で芸名を改名

1977年4月1日、『日本教育テレビ』から『テレビ朝日』への社名変更・局名変更を記念して開催された特別番組の中で、著名人が自分の持ち物をチャリティにするためオークションに出すコーナーがありました。

この時、すでに「悠木千帆」という名前で数々のテレビドラマに出演して名前が売れていたのに、「悠木千帆」の芸名をオークションに出すと言い始めたものだから、プロデューサーはびっくり仰天。

改名は「ムー」の収録期間中だったそうです。

説得しようとしたものの、「いいです。やります」と押し切って「悠木千帆」の芸名をオークションに出してしまい、自らは樹木希林に改名しました。

「寺内貫太郎一家」や「ムー」などで共演した谷隼人さんは、「ずっと悠木さんと呼んできたので途中で変わって困った。しばらく樹木さんと呼べなかった」と言っていました。

おそらく、共演経験のある方は皆同じ思いだったことでしょう(笑)。


(出典:TBS「寺内貫太郎一家2」)

写真中央は「寺内貫太郎」役小林亜星さん(当時43歳)、その左は長女「節子」役風吹ジュンさん(当時23歳)、その左が「きん」役樹木希林さん(当時悠木千帆、32歳)、右はお手伝いさん「ミヨ子」役浅田美代子さん(当時19歳)、妻「里子」役加藤治子さん(当時49歳)、後列左は次男「周平」役西城秀樹さん(当時20歳)、その右が長男「太郎」役谷隼人さん(当時29歳)。

ほとんど別居なのに夫婦でゼクシィのCMに

内田裕也さんと一緒に暮らしたのは約1年半だけで、別居生活40年を超えているのに、夫婦で「ゼクシィ」のCMに出演して世間を驚かせました。

こういう夫婦の形もあるという粋なコンセプトだったそうなのですが、なんとCMの放送期間中に内田裕也さんが元交際女性に復縁を迫って逮捕される事件を起こし、樹木さんひとりのバージョンを撮り直したそうです。

樹木さんは自宅に記者を招いて気丈に会見を行ったのですが、その時の発言がかなり名言です。

「(被害を受けた)スチュワーデスの方には『ありがとう』と思います。さらしてくれて。お仕置きのようになればありがたいです」(2011年5月)

でも、樹木さんに言わせると、本当は樹木さんの方がどこに飛んで行ってしまうかわからない人で、内田さんは樹木さんの「重し」になってくれている「いい夫」なのだそうです。

「あちらはあちらで回遊魚みたいな人。だけど本当は、どこに飛んでっちゃうかわからないような人生を送るはずだったんです、私が。だから、いい重しなんですよ」(2015年5月27日 産経新聞)

ふたりにしかわからない、いい関係なんでしょうね。

31歳で老け役をやるようになったことについて

「あれは自分で選んだの。ワンシリーズやるんだけど、セリフ覚えるのも大変だし、いろんな所に出ていくのも嫌だから、日なたでぐでーって寝てるバアさんの役やらせてって」

これは樹木さん独特の言い回しというか、謙遜でしょうね(^^;

当時はお若くてセリフもどんどん覚えられたはずですから。

頑張ってるように見せない頑張りがかっこいいみたいなところでしょうか。


老いや病気も楽しむ生き方

2000年以降は体力の低下や病気もあって、映画やCMをメインに活動されていました。

ドラマは拘束時間が長いのでつらいけど、映画やCMなら「瞬間芸」で撮影の時だけ元気になれるのだそうです。

「自分ひとりで生きているわけじゃないって実感した。年相応にいろいろあるの。でもそれがまたいいのよ」(2015年5月15日 読売新聞)

病気や年齢によって変化するありのままの自分を受け入れて、そうした変化も役に活かそうとポジティブにとらえておられたのでしょうね。

病気とつきあいながら仕事することについて、
「物も人も置き場所を変えると生きたりするのよね」(2016年6月1日 読売新聞)
とおっしゃっていました。

これは、病気という新たな「引き出し」を得たことで、演じ方が変わってくるという意味でしょうか。

「万引き家族」の是枝監督も、
「体が弱ってからも初めての経験を面白がっているようなところがあり、凄みと軽やかさの同居した姿は、神々しくさえありました」と語っていました。

2000年以降だけでも、数多くの名作に主要な役柄で出演されています。

2007年公開『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』松岡錠司監督

2008年公開『歩いても 歩いても』是枝裕和監督

2012年公開『わが母の記』原田眞人監督

2015年公開『あん』河瀬直美監督

2018年公開『万引き家族』是枝裕和監督
     『日日是好日』大森立嗣監督

これだけ活躍されてるから、本当はがんじゃないんじゃないか、なんて言う人がいるんですね(^^;


(出典:宝島社2016年企業広告)

「オフィーリア」をモチーフにした「死ぬときくらい好きにさせてよ」という広告が衝撃的で話題になりました。

樹木さんは宝島社に、「死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」というコメントも寄せていたそうです。

まさに樹木さんの生きざまを切り取ったような広告でしたね。





「林檎殺人事件」賞レース不参加の真相は

テレビドラマ『水曜劇場「ムー一族」』の挿入歌、「お化けのロック」「林檎殺人事件」を郷ひろみさんとデュエットして大ヒットを飛ばし、ベストテンの常連になりました。

年末の賞レースにも当然ノミネートされる予定だったのですが、なんと樹木さんは
「出演者と旅行に行く予定があるので出られません」
と言って全部断ってしまいました。

当時は子供だったので、「そうなのか~。残念」としか思いませんでしたが、今思うと樹木さんは、本職の歌手ではないのに番組の企画で軽いノリで出した曲がヒットして、この上賞までかっさらってしまったら、人生かけて歌を歌っている歌手の人たちに申し訳ないと思って、賞レースにあえて参加しないようにしたんだと思います


死ぬ死ぬ詐欺みたいでごめんなさいね

2005年1月に乳がんで全摘手術を受けられましたが、あっけらかんと語っておられました。
「こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど、Tシャツを着た時にじゃまだなと思ったから」

2013年に全身がんを公表した後も、見た目には比較的お元気だったので、ネットでは本当にがんなのか怪しいとか心無い噂も飛び交いました。

日本アカデミー賞授賞式で、満面の笑顔のままこんなことを言っておられました。

「これ(トロフィー)いただいちゃうと、来年司会でしょ?
私、冗談じゃなく全身がんなので、来年の仕事の約束できないんですよ」

2014年12月「あん」の舞台挨拶では、こんなことを言っておられました。

「たぶん、樹木さんの遺作ということで売りたいんじゃないでしょうか?
ベッドの上で死ねるのは上出来と思ってますので、いつどこで何があるかわからない時代ですから、そんなふうに気楽に考えてます。
ほんとごめんね。
死ぬ死ぬって言って、詐欺みたいになっちゃったわね」


まとめ

樹木希林さんと内田裕也さんには、ふたりにしかわからない絆があったのだと思います。

樹木希林さんは、「内田家の墓に入る。あの世では同居する」とおっしゃっていました。

内田さんも樹木さんを亡くして相当ショックを受けているそうですから、やはり心の伴侶は樹木さんだけなのでしょう。

樹木さんは若い頃から仏典に親しんでいて、内田さんのことや左目の失明、がんのことも自分を成熟に導いてくれる「難」ととらえていたそうです。

とても素敵な生き方だったと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。


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