『白いカラス』映画鑑賞記 アンソニー・ホプキンス ニコール・キッドマン

出演:アンソニー・ホプキンス、ニコール・キッドマン、
   ゲイリー・シニーズ、エド・ハリス、ウェントワース・ミラー
監督:ロバート・ベントン
公開年:2003年

<<この感想文はネタバレですので、事前情報なしに鑑賞したい方はご注意下さい。>>

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アンソニー・ホプキンスとニコール・キッドマンという演技派が贈る、自分を偽って生きていかざるをえなかったふたりの切なく重厚な人生の物語です。

コールマン(アンソニー・ホプキンス)は、名門大でユダヤ人として初の古典学部長にまで登りつめた大学教授。

じつは黒人の血を引いているけれど、外見が白人(ユダヤ人)そのものなので、それを隠して生きてきました。

人種問題が深く関わってくるストーリー展開ですが、人種問題はテーマのひとつでしかありません。

作品中、何気ない会話やニュースの切れ端に”クリントンの偽証”とか”大統領の嘘”というフレーズが何度か出てきます。(ちょうどモニカ・ルインスキー事件の頃です。)

やはり”嘘”がキーワードになっているように思えます。

不都合なことを偽ってでも表面上成功した生活を送るのが幸せか、ありのままの姿をさらけ出して本来の自分で生きていくのが本当の幸せなのか、というテーマは国を超えて共通するテーマだと思いました。

回想シーンで、コールマンの青春時代が語られます。

コールマンも学生を送った1940代には、あえて自分の出自を隠そうとはしていませんでしたが、揺れていたんですね。

しかし、結婚を考えていた彼女を彼の実家へ連れて行くことになり、彼女は涙を流して喜んでいたくらいなのに、黒人そのものの彼の母親を見たとたん「私には無理だわ」と去っていく。

その事件が決定的なきっかけとなって、彼は、職や結婚のために黒人であることを隠して生きていくこと決意をします。

後に妻となるアイリスと出会った時には、「両親は死んだ。兄弟もいない。」 と言ってしまいます。

親兄弟がいないことになっているので、実家との縁も切ることになります。

それに対するコールマンの母親の反応が素敵で、とてもリアルなんです。

彼の母親は激昂するでもなく、彼の将来を嘆いてこう言います。

「あなたはリスクを負うことになるのよ。子供の肌の色が白でなかったらどうするの?」

後にコールマンの妹も「自由を望んで囚人になるのよ」と、同じようなことを言っています。

以前読んだ、イザヤ・ベンダサン氏の著書の逸話を思い出しました。

あるユダヤ人がなぜゲットーの外で暮らさないのかと尋ねられ、

「外なるゲットーを出れば、内なるゲットーに入らねばなりませんから……。
確かに、『内』を選ぶ人もいます。しかし私は『外』を選んでいるのです。その方が楽ですから」

と答えたというエピソードです。

「ユダヤ人はゲットーに押し込められているが、ゲットーの内部にいる限り、安全であり自由である。

しかしひとたびそこから外部に出ていわゆる「同化ユダヤ人」になるなら、自分の心を偽って、全く心にもない生き方をしなければならない。

これは、自らの精神をゲットーに押し込めることで、これを彼は内なるゲットーと呼んだのである。」

コールマンの立場もこのユダヤ人と似ているのではないでしょうか。

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彼は自分の心を閉ざし、秘密を封じ込めるのと引き換えに、白人として生きることに成功し、世俗での名誉と美しい妻を手に入れたのです。

しかし、白人になりきらなければならないと張り詰めて生きてきたせいか、皮肉にも、黒人の同僚に対して人種差別的発言を口にしてしまいます。

本当は自分も黒人だと打ち明ければ失職は避けられたのですが、それだけはできなかったのでしょう。

人種差別と糾弾され、大学を追われてしまいます。

不幸は重なるもので、妻アイリスは夫の失職に憤慨して発作を起こし、わずか数時間後に亡くなってしまいます。

このエピソードには、アイリスはエリートであるコールマンの肩書きにしか興味のない妻だったことが暗にほのめかされていると思います。

失職して半年後、コールマンは湖畔で隠遁者のような暮らしを送る作家ネイサンを訪ねて、不遇な自分の話を小説にしてくれればヒット間違いなしだよと持ちかけます(笑)。

これまで誰にも話したことのない自分の身の上話を、自分とこれまで関わりのなかったネイサンに語ることでこれまでの苦しさを脱ぎ去ろうとしているかのようなコールマン。

小説化にはあまり興味を示さなかったネイサンですが、ふたりは気が合ったのか友人になり、ネイサンの口から物語が語られる形になっています。

ネイサンは、原作者のフィリップ・ロスの分身なのでしょう。

フィリップ・ロスは『さようなら、コロンバス』の作者でもあります。

妻が亡くなった後、コールマンはふとしたきっかけで過去のある女性フォーニア(ニコール・キッドマン)と出会います。

元々はお金持ちの家の出だったのに、義父の虐待や子供たちの不慮の事故死でトラウマを抱える、荒んだ美しさを持つ女性。

親子ほども年が違うけれど、同じように孤独な境遇に惹かれたのか、ふたりは恋仲に。

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でも、フォーニアはコールマンにあまり深いところまで立ち入ってほしくないんですね。

「悪いけど、朝まではいないで帰ってほしい」と寂しいことを言います。

ほとんど何もないと言っていいほど生活感のない部屋に、彼女の心の傷の深さが象徴されてるようです。

野鳥保護センターに、フォーニアが以前かわいがっていたカラスが預けられています。

人に育てられたために鳴けない。外に出ると他のカラスに襲われてしまうというカラスになれないカラス。

『白いカラス』もうまい邦題だと思いますが、私は原題のままでもよかったんじゃないかと思いました。

原題は、”The Human Stain”。 Stainは「汚点」の意味です。

ネイサンは「人間の傷」と言っていましたが、「汚点」。

コールマンにとって黒人の血が汚点だったという意味でもあり、嘘をつき続けて生きていくことは人間として汚点だという二重の意味があると思います。

ところで、オリジナルの北米公開版はベッドシーンが長いので、日本公開版ではラブシーンが大幅にカットされていますので、お好みでお好きな方をどうぞ。

大人のための上質な物語です。

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