ドナルド・キーン氏養子のキーン誠己さんはどんな人?いつ養子に?遺産は?

日本研究の第一人者で文化勲章受章者のドナルド・キーン氏(96)が亡くなられました。キーン氏は日本人三味線奏者、誠己(せいき)さんを養子にしています。キーン誠己さんの経歴、ドナルド氏と知り合ったきっかけや、いつ養子縁組されたのかなどをまとめました。




キーン誠己さんのプロフィール


(出典:日本経済新聞)

本名:キーン誠己(きーん せいき)

旧名:上原誠己

年齢:68歳

職業:三味線奏者 実家の蔵元の経営に携わる実業家でもある

現在の芸名:越後 角太夫(えちご かくたゆう)

旧芸名:五代目 鶴澤 浅造(ごだいめ つるざわ あさぞう)

※ドナルド・キーン先生からは、芸名で「アサゾウ」と呼ばれていたそうです。

出身:新潟県新潟市

実家:『越後鶴亀』などで知られる蔵元の上原酒造

経歴:東京外国語大学 外国語学部 フランス語学科卒

1972年 文楽義太夫節三味線の世界に入る
    国立文学劇場文楽第一期生



「外国語大を出たのになぜ三味線の世界へ?」と思いますよね。

誠己さんはインタビューでこう語っています。

当時は大学紛争まっただ中でろくに授業もない。先に上京していた兄に連れられてアングラ劇場などに出入りするうち文楽と巡り合ったのです。筋書きの面白さと迫力に引き込まれ、すぐ弟子入り。1972年からは人形浄瑠璃文楽座に所属し三味線を弾き始めました。(引用:日本経済新聞)




ドナルド・キーン氏と知り合ったきっかけ

2006年11月にドナルド・キーン氏に浄瑠璃について教えを請うため、東京都の駒込駅に近いご自宅を訪ねて以来、恩師と仰ぐようになったそうです。

ドナルド氏に、大英博物館に越後国柏崎を舞台にした古浄瑠璃の床本が残っていることを教えてもらい、復活上演を提案され、2009年に古浄瑠璃「弘知法印御伝記」を新潟で復活上演し、さらに交流が深まったそうです。

2011年の東日本大震災後、ドナルド・キーン氏は「残りの人生を日本で過ごしたい」と、日本への移住と日本国籍取得を決意します。

誠己さんもニューヨークを訪れて、短期間ですがそこで一緒に過ごされたようです。

引っ越し準備も手伝われたことでしょう。

ドナルド・キーン氏が暮らしたニューヨークの部屋は、そっくり新潟県柏崎市に移設され、ドナルド・キーン・センター柏崎として一般に公開されています。

ドナルド・キーン氏は、2011年9月に日本永住のため来日し、東京都北区に定住。

それ以降、誠己さんが秘書役となり、ドナルド氏のスケジュール管理や食事の世話などをするようになったそうです。




ドナルド・キーン氏と養子縁組

2012年3月にドナルド・キーン氏は日本国籍を取得。

その前から養子縁組の話はあったそうですが、ドナルド氏からの再度の要請で誠己さんは養子となったそうです。




養子縁組の前から、身の回りの世話や秘書業務をしていたので、違和感はありません。毎日3度の食事を私が作り、夕方には一緒に買い物に出かけます。地元の商店街では人気者で、父もお店の人との会話を楽しんでいます。独身を通してきたせいか意外に寂しがり屋で、ずっと家庭的な生活に憧れていたようです。(引用:日本経済新聞)

ドナルド・キーン氏は80歳を過ぎてもご自分で買い物や料理をしていたそうですし、お手伝いさんもいたそうです。

身の回りの世話をしてくれる人がほしかったというよりは、家族のぬくもりがほしかったのではないでしょうか。

バラが咲く時期の北区西ケ原の旧古河庭園にひとめぼれし、そのすぐ近くのマンションがあくのを2年待って購入し、それ以降40年以上お住まいだったそうです。

テレビ番組などで地元を取り上げると、よく商店街の人たちが「キーン先生、よく来るよ」と言っていたのを思い出します。


ドナルド・キーン氏の遺産は

キーン氏は日本に永住する前から日本にもマンションを持っており、日米で二重生活をしていました。

北区に住む前には文京区西片のマンションを買って住んでいたそうですが、大通り沿いで騒々しいため、住み替えしたそうです。

文京区西片のマンションが売れなかったら、買い替えできなかったと思うと語っておられます。

キーン氏は、コロンビア大の名誉教授でもありますが、こちらは名誉職のため報酬はないようです。

日本移住後は、もっぱら評論などの文筆業で身を立てていたと思われます。

これまでに出版された本の印税も入ることでしょう。

コロンビア大退職までは教授職を、また「ドナルド・キーン財団」理事長や朝日新聞の客員論説委員などを務められていましたので、豊かな老後を過ごすには十分な貯蓄があったのではないでしょうか。

まとめ

我が家にもキーン先生が監修された辞書が何冊かあります。

戦後の日本が国際社会で今のような地位を築くのに多大な尽力をされ、功績を残された方です。

日本人以上に日本文化を愛してくださった偉大な研究者が亡くなったのは寂しいことですが、晩年は暖かな地元の人々や養子の誠己さんにかこまれて幸せに過ごされていたようなのが救いです。

(2019.3.7追記)
キーン誠己さんが3月4日に記者会見を行い、2月28日に家族葬をすませたことを公表しました。

キーン先生は、昨年秋から老人ホームに入居されていたそうです。

2月初めに誤嚥性肺炎で緊急入院し、23日には知人のお見舞いを受けるなどしていたそうですが、24日朝誠己さんが病院に呼ばれた時には意識がなかったそうです。

誠己さんは「日本人以上に日本を楽しみ幸せな人生だったと思う」と語っておられました。心よりご冥福をお祈りいたします。


「ドナルド・キーン先生は東京裁判の通訳を断っていた!」はこちらをご覧ください

ドナルド・キーン先生のお別れ会、記帳所については、こちらをご覧ください