先頃来日したメラニア・トランプ大統領夫人は、圧倒的なクール・ビューティぶりを見せつけてくれましたね。メラニア夫人の美少女ぶりが際立つ若い頃の画像を探してみました!生い立ちと経歴、学歴にまつわる噂、年齢、身長も調べました。
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目次
メラニア夫人の生い立ち
メラニア夫人の生い立ちと、トランプ氏との結婚までの経歴をまとめてみました。
出生名:Melanija Knavs(スロベニア語。読み:メラニア・クナウス)
生年月日:1970年4月26日(現在49歳)
身長:180cm
出生地:旧ユーゴスラビア(現在のスロベニア)ノヴォ・メストで出生。
のちに家族とともにセヴニツァに転居。
さらに高校進学のため、首都リュブリャナへ転居。
セヴニツァは首都リュブリャナから1時間ほど離れた町で、セヴァ川岸に広がる森林におおわれた美しい町です。
ヨーロッパでの報道によると、12世紀に建てられたお城を中心に中世から栄える町で、メラニア夫人が注目を集め始めた頃、おとぎ話のようだと話題になったそうです。
(メラニア夫人の故郷、Daily Mailより)
当時ユーゴスラビアは共産圏で表向きには無宗教でしたが、住民の間では秘密裏に子供にカソリックの洗礼を受けさせるのが慣例となっていて、メラニアさんも生まれて間もなく洗礼が施されたそうです。
(イネスさんインスタグラムより)
メラニア夫人2歳の時の写真。
一緒にいるのは母親ではなくベビーシッターです。
(Daily Mailより)
メラニアさんが5歳の時、子供服メーカーの子供モデルに選ばれてカタログに載り、姉イネスさんとともに子供服ファッションショーに出演しています。
中央に写っているのがメラニアさん。
幼い頃から可愛さが際立っていますね!
このファッションショーの様子は、地元の新聞でも紹介されました。
(Daily Mailより)
学生時代のメラニア夫人はどんな人だった?
メラニア夫人の子供の頃からの友人の話では、メラニア夫人はよくしゃべる社交的な子供で、よく外で遊んでいたそうです。
読書が好きで、特に絵の才能が優れていたのだとか。
メラニア夫人はごく早い時期からモデルに憧れ、服のスケッチなどをしていたそうです。
絵には相当熱心で、学校の授業とは別に絵画を習いに行っていて、スタイリッシュで服装のセンスもよかったそうです。
子供服メーカーに勤めている母親からカタログをもらって、アイデアをふくらませることもあったとか。
高校生の頃から周囲の人より高い目標を持っていて、将来は首都へ行き、できれば国外で活躍したいという野心を持っていたそうです。
ただ美人なだけでなく、賢さと優しさと兼ね備えた人だと友人は語っていました。
ユーゴスラビアでは1990年代に内戦もありましたが、メラニア夫人の故郷スロベニアは比較的平穏だったそうです。
しかし、内戦で停滞する故国より、国外に出て華々しく活躍したかった気持ちはわかりますよね。
プロデビュー後のメラニア夫人
メラニア夫人は16歳の時にプロのモデルとしてキャリアをスタートしています。
パリでモデルをしていた時の写真がとてもかわいくて釘付けになってしまいます!
最近では目の覚めるようなブロンドが印象的なメラニア夫人ですが、たぶんこちらのブラウンがもともとの髪の色なのでしょうね。
(イネスさんインスタグラムより)
1987年、17歳の時にスロベニアの有名なファッション・カメラマンStane Jerko氏の目に留まり、Jerko氏が撮影した写真が評判となってコマーシャルのモデルとして活躍するようになります。
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Jerko氏はCNNのインタビューで、
「メラニアは初めてのフォトセッションでは少し緊張していたけれど、とても飲み込みが早かった。2回目のセッションではすっかりコツをつかんでいて、堂々としていたよ」
と語っています。
2回目のセッションで撮られた写真がこちら。
(Stane Jerko氏撮影)
まだどことなくぎこちなさが残っているのがかわいらしいです^^
(Stane Jerko氏撮影)
メラニア夫人は、18歳でミラノのエージェンシーと契約してパリやミラノで活躍します。
Vogue, Harper’s Bazaar, Vanity Fair, Glamourなどの表紙を飾っていた頃のメラニア夫人。
(イネスさんインスタグラムより)
また、プロのモデルになる時に、名前をスロベニア語のMelanija Knavsからドイツ語スペルのMelania Knaussに変更しています。
モデルとして、先進国出身のイメージにしておいたほうが有利だったのかもしれませんね。
トランプ氏の友人との出会いとアメリカ進出
メラニア夫人はミラノで、ザンポーリ氏というイタリア生まれのアメリカ人実業家と出会いました。
このザンポーリ氏がメラニア夫人のアメリカでのエージェントになると約束してくれたため、1996年にアメリカに渡ります。
ザンポーリ氏はトランプ氏の友人で、のちにメラニア夫人をトランプ氏に紹介するキューピッド役となりました。
アメリカに渡った時メラニア夫人は26歳で、若いモデルと競争するようなオーディションではなかなか難しい年ごろとなっていたようです。
しかし、知恵者のメラニア夫人は、未成年のモデルが登場できないタバコやアルコールの広告に的をしぼることで仕事を得ていったそうです。
若い子には太刀打ちできない大人の魅力で勝負したんですね。
メラニア夫人は2001年に米国の永住権を取り、2005年のトランプ氏との結婚を経て、翌年2006年に米国市民権を取得しています。
メラニア夫人の学歴詐称疑惑の真相は
メラニア夫人はリュブリャナの高校で工業デザインと写真を学び、リュブリャナ大学に進学して1年間建築とデザインを学んだものの、モデル業との両立が難しく中退したそうです。
ところが、メラニア夫人の公式サイトには「リュブリャナ大学を卒業して建築とデザインの学位を取得した」と書かれていて、トランプ氏の選挙活動でもそのプロフィールが繰り返し使われたため、中退していることが明るみに出るとトランプ氏の対立候補やマスコミから学歴詐称と指摘されてしまいました。
メラニア夫人は、リュブリャナ大学は中退していることをインタビューで包み隠さず話していました。
メラニア夫人が学歴詐称したというより、トランプ氏の側近が良く見せようとして勝手に書いてしまったのが真相のようですね。
モデルさんですから、大学を卒業していない人は珍しくないので真実を書けばよかったのですけれどね。
コールガールの噂はガセネタ。訴訟で和解金3億円
2016年に、Daily Mailにメラニア夫人がモデル時代にエスコート・サービスで働いていたという捏造記事が出ました。
2017年2月に、それを受けてメラニア夫人はDaily Mailを提訴しています。
2017年4月、Daily Mailは記事を撤回して、メラニア夫人に290万ドル(約3億1千万円)の解決金を支払う約束をして和解しています。
計算違いではないかと、何度も確認しちゃいました w(゚o゚)w
全部支払われたかどうかや、分割払いなのかなどは公表されてませんけどね。
ファーストレディーを元コールガール扱いしちゃったんですから、このくらいの迷惑はかけてますよね!
まとめ
メラニア夫人は16歳からプロのモデルとしてヨーロッパで活動し、26歳でアメリカに渡りました。
リュブリャナ大学を1年で中退したのは事実。コールガールの噂は裁判で否定されています。