メリー喜多川は若い頃に不倫と略奪婚?家族構成や夫の経歴を調査!

ジャニー喜多川さんが倒れて心配な状況が続き、メリー喜多川さんの動向にも注目が集まっています。ジャニーさん、メリーさんの名前からハーフと誤解されている方もいらっしゃるようですので、ご経歴や家族構成を調べてみました。

ジャニー喜多川さんとメリー喜多川さんはアメリカ生まれ

ジャニー喜多川さんとメリー喜多川さんがその名前を持つ理由は、ハーフだからではなくアメリカ生まれの日系2世だからです。

戦前にアメリカへ移住した日系1世やその子供である2世の方の中には、戦争中に強制収容所への収容などを経験して、日本に帰国した方が多くいらっしゃいます。

ジャニーさん、メリーさんもそうした帰国した日系人たちのひとりなんです。

だから、「YOU、来ちゃいなよ!」なんて言葉がすらすらと出るんですね^^

メリー喜多川さんのプロフィール

本名:藤島 メリー泰子

名前の読み:ふじしま めりー やすこ

愛称:メリーさん

現在92歳

国籍:日本、アメリカの二重国籍

生誕地:アメリカ合衆国、カリフォルニア州ロサンゼルス

学歴: ロサンゼルス・シティー・カレッジ (LACC)卒業

職業:ジャニーズ事務所副社長

1933年に家族とともに日本へ帰国して大坂に移り住んだのち、戦争中は子供たちだけで和歌山県に疎開。

敗戦後の1947年(昭和22年)に子供たちだけでロサンゼルスに帰国し、現地の学校へ通学。

亡夫の藤島泰輔さんとは、藤島さんが離婚する前に内縁関係となっていて略奪婚という見方もあります

若い頃のメリーさんは、戦後の一時期、OSK(大阪松竹歌劇団)に在籍し、占領軍のキャンプの慰問に回って流暢な英語で司会を務めたそうです。

その後1950年代から四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角で「スポット」という名のカウンターバーを経営。

バーの客であった藤島泰輔さん(当時は東京新聞記者)と結婚。

作家仲間の間ではおしどり夫婦として知られていたそうです。

1962年6月に弟のジャニー喜多川さんが芸能事務所「ジャニーズ事務所」を興すと、メリーさんもバーを閉店して事務所の経理を担当。

また、フォーリーブスのスタイリストなども受け持ったそうです。

事務所が大きくなるにつれ、経営にも携わるようになりました。

最近のメリーさんは、マスコミ関係者の間では認知症ではないかと噂されているようです。

お年を考えると、無理もないことですよね。

「常時、運転手付きの車で移動。
数年前までは都心にある焼き鳥店で1人で食事を楽しむこともあったようですが、最近、すっかりその姿を見かけなくなってしまったようです。
その理由ですが、やや認知症気味だというから驚きです」(週刊実話より)

 

<若い頃のメリーさんの画像>

メリー喜多川さんの父親は元僧侶の日系1世

名前:喜多川 諦道(きたがわ たいどう)

1896年、大分県生まれ

ジャニーさんの父親はお坊さんで、リトルトーキョーにある高野山真言宗米国別院の僧侶だったそうです。

1933年に一家で日本へ帰国して、それ以降は大阪市に居住。

1946年(昭和21年)2月から1948年(昭和23年)2月までプロ野球チーム「ゴールドスター(1947年に「金星スターズ」に改称)」のマネージャーを務められました。

 

メリー喜多川さんの母親

名前:喜多川 栄子(きたがわ えいこ)

米国で母親が亡くなったことをきっかけに、1933年に一家で日本へ帰国したのだそうです。

 

長弟・喜多川真一さんはエンジニア

NASAでアポロの設計もしていたエンジニアでしたが、1980年代に50代半ばで亡くなっています。

 

末弟・ジャニー喜多川さん

本名:ジョン・ヒロム・キタガワ

日本名:喜多川 擴(きたがわ ひろむ)

愛称:ジャニーさん

国籍:日本、アメリカ

生年月日:1931年10月23日(87歳)

生誕地:アメリカ合衆国、カリフォルニア州ロサンゼルス

学歴: ロサンゼルス・シティー・カレッジ (LACC)卒業
上智大学国際部(現・国際教養学部)卒業

職業:ジャニーズ事務所代表取締役

今でこそ大学全入時代なんて言われますが、この時代の生まれで大学をふたつ出ているなんて、相当教育熱心な家庭だったのでしょうね。

ジャニーさんは独身で子供もなく、現在お元気な家族は、姉のメリーさんと姪の藤島ジュリー景子さんだけとなっています。

 

夫・藤島泰輔さんは上皇陛下のご学友

名前の読み:ふじしま たいすけ

生年月日:1933年1月9日(1997年6月28日没)

学歴: 学習院大学

職業:東京新聞記者(社会部)を経て評論家

日本銀行監事夫妻の長男として生まれ、学習院では皇太子時代の上皇陛下のご学友として、同じアメリカ人女性家庭教師から英語を習ったという名門の出身。

三島由紀夫とも学習院の先輩後輩の仲で親しい間柄でした。

学習院大卒業後は、東京新聞社会部で記者として勤務したのち、ご学友ネタを取り上げた小説、『孤獨の人』で作家デビュー。

1964年(昭和39年)、高浜虚子(たかはま きょし)の孫娘の朋子さんと結婚したのですが、間もなくしてメリー喜多川さんと内縁関係になります。

高浜虚子は、明治・大正・昭和にわたる有名な俳人です。

「子」がついているので女性と間違う方もおられますが、男性です。

1966年(昭和41年)、メリーさんとの間に長女・藤島ジュリー景子さんが誕生。

その後東京新聞を退社し、作家専業となります。

1967年に『週刊読売』に連載されていた『忠誠登録』は、戦後日本で最初に日系アメリカ人の強制収容の歴史を伝え、社会問題化したものだと言われています。

メリー喜多川さんの影響で執筆したのでしょうね。

1972年(昭和47年)、内妻のメリーさんや娘のジュリーさんと米国に滞在中に本妻の朋子さんと離婚が成立し、その後メリーさんと正式に再婚しています。

資産家としても知られ、長者番付の常連でした。

草創期のジャニーズ事務所を経済的にバックアップし、マスコミ・政財界関係者などの知人を紹介し、ジャニー喜多川社長の業界関係者への人脈拡大を手助けしたと言われています。

パリでの生活体験を元に「日本在住のフランス人」のポール・ボネ名義で著した『不思議の国ニッポン ― 在日フランス人の眼』シリーズ、海外生活を題材にしたエッセイなど多数の著作を発表しています。

1977年(昭和52年)、参議院議員選挙に自由民主党公認で立候補し、落選。

1996年(平成8年)にガン告知を受け、翌年1997年(平成9年)に亡くなっています。

批判を呼んだ「ポール・ボネ」名義での出版

『不思議の国ニッポン』シリーズは、”日本に長期滞在している在日フランス人が日本や日本人の変だと思う点について語る”という名目で1970年代から1990年代まで『週刊ダイヤモンド』に連載され、後に単行本として出版されて20巻ぐらいまで続いた長寿作品でした。

最近で言えば、”ここが変だよ日本人”をもう少し重厚にしたような感じと言ったらわかりやすいでしょうか。

藤島氏は日本人であることを隠して「日本在住のフランス人ビジネスマン」という設定で寄稿していました。

そのため連載中から、日本語が完璧すぎることやあまりにも日本の政治・文化について詳しいので、「ポール・ボネは本当は日本人ではないのか?」という問い合わせや批判が読者からわき起こっていました。

そのたびに”ポール・ボネ”は、

「編集者が完璧な日本語に校正してくれている」
「本業の合間をぬって並々ならぬ努力を払って日本語で執筆している」
「日本がどういう道に進むかは日本人にのみ関係あることであって、私には関係ない」

などと言って疑惑をはねのけていました。

書籍は好評で、ベストセラーになりました。

しかし、どんなに立派なことを書いても、”どういった立場で発言しているか”を偽ったのでは信頼を欠くこととなってしまいますよね。

管理人も『不思議の国ニッポン』シリーズを読んだひとりで、著者がフランス人になりすましいている日本人作家だとわかった時にはかなり残念な気がしました。

著者の思想がちょっと右寄りなので、批判がくると面倒だと思って外国人という設定で世に出したということもあるようです。

そのようなことをしなくても、堂々と自分の意見を発表すればよかったのではないでしょうか。

まとめ

メリー喜多川さんはアメリカ生まれの日系2世です。

アメリカの大学を卒業後、日本に帰国して、OSKに所属して米軍の慰問の司会などで活躍。

1950年代にはバーを経営し、当時既婚者だった藤島泰輔氏と出会って娘、ジュリー景子さんが誕生した後で正式に結婚。

1962年に弟のジャニー喜多川さんがジャニーズ事務所を開業してからは経理や経営などに携わってきました。

夫の藤島泰輔氏は学習院大卒業後、新聞社勤務を経て評論家活動をしていました。

藤島泰輔氏は資産家で、創業期のジャニーズ事務所を経済的に支え、ジャニー喜多川氏をマスコミ関係者や政財界の関係者に紹介したと言われています。

「ジャニー喜多川さんのお別れ会の場所は東京ドーム?」はこちらををご覧ください

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。